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狂人日記

恒例のアホを晒すエントリー。昨日のやつはアレだったのでちょっと書き直しました。

人頭税ってありますよね。国民一人ひとりが同じ額だけ必ず国に納めるっていうあれです。実現性はさておき、自分はその人頭税が形式的にはもっとも「公平」な税だと思っていました。だって、みんなが同じ額を納めるわけですよ。これを「公平」と言わずして何を「公平」というのか。と思っていたんですが、どうもこの考えは少なくとも今の世の中では異端なようで。。
Wikipediaで租税の項目を調べると、応益原則、応能原則 といった話が載っています。何をもって税制が「公平」であるとするかの根拠として、大きく二つの説があるという話で、前者は個人が国から受ける利益に応じて税を納めるのが「公平」だという考え方。万人が国から同じ利益を得るなら同じ税を皆が払うのが「公平」となります。後者は個人の能力に応じて税を納めるのが「公平」という考え方で、払える人が多く払うべきという例のあれです。こちらは累進課税の根拠になってるんだそうです。なるほど、税制における「公平」という言葉は定義が一意的にきまっているわけではないんですね。恥ずかしながら、これは本当に知りませんでした。きっと学校の倫理政経の時間は寝てたんでしょう。まったく、どうしようもないヤツです。

Webに限らず新聞やニュース、雑誌、ローカル機関紙などに、こうまで「消費税は逆累進性が高い」と大々的に書かれているところをみると、恐らく何か自分の知らない普遍的な理念があるのだろうとは薄々思っていましたが、どうやら憲法に「国民はその能力に応じて税金を払ってね」という趣旨のことが書かれているんだそうで。だから「応能原則が当たり前」という考えが国民の最大公約数的な思想になっていると。まあ、そう言えなくもないんですね。ただ、現在の日本の税制は必ずしも応能原則に完全に則ったものだけではないという話もあります。それに現実の税制は結構複雑なので、一概にこれは応益だ応能だとわけられないように私も思います。Wikipediaにもありましたが、実際には応益的、応能的な税制を組み合わせていることも多いでしょう。

ところで応能原則に則った場合、どの程度の差をつければ「公平」といえるのか?これは当然、人によって感じ方が違うんだろうことは容易に想像がつきます。「消費税は逆累進的だ」と主張する人がこれほど席巻しているところをみると、今の日本はかなりの差をつけないと「公平」だと納得しない人が多いようです。既に世界的にみても相当強い累進課税である所得税が施行されているにも関わらず、もっと累進課税を増やして欲しいと考えているのですから。
つまり応能原則による「公平」は国民の意識によってかなり左右されるってことですね。格差が広がればそれに応じて極端に勾配のついた税制でないと「公平」とはみなさなくなる。富の再分配を強制する原則ということなんでしょう。

でもそれって、確かに社会が効率良く回るためには必要なことかもしれないけど、「公平」って言えることなのかなあ。。うーん、ここまで調べても、まだ自分は納得できません。

ここからは現実的かどうかはともかく理念だけの話をさせて下さい。私が考える税における「公平」さは、どちらかというとやはり応益原則によって実現するものではないかと思っています。国から享受できる利益がみんな同じなのであれば、みんながその分、同じ税を払うのが「公平」だとしか思えないのです。だから、人頭税はもっとも「公平」な税だと考えています。そしてもちろん、「公平」であれば国民全体が幸せになれると思っているわけでもありません。

私は格差社会が良いとか、富の再分配は必要ないと言いたいわけではありません。自分だって裕福ではありませんから、お金持ちの人から富を分けてもらえるのなら、やっぱり嬉しいです。物が余分に買えるようになるので僅かながら経済にも貢献できるし、自分の満足度も上がり心の余裕も生まれます。結果的に社会へ不当な不満をぶつけて警察のごやっかいになる確率も減るでしょう。うん、確かに富を分配すると社会全体としてメリットがあるのだと思います。
ただ、それが「公平」であり「当たり前」だと思うのはおかしいと思うのです。公平な税とは何か、と聞かれたら自分にとってはあくまで人頭税のようなもののことであり、消費税は私の考えでは逆累進性はありません。人々の間に能力の差があるのであれば社会に格差が生まれるのは本来ごく自然なことであって、税制のような国のシステムによって無理やり是正されることの方が不自然です。ただ、国が上手く回るためには、つまり社会が効率よく発展していく為には、その不自然な仕組みが効果的だというだけだと思います。

今の税制を利用した富の再分配は「当たり前」のものとして一般的には受け止められているようなので、サポートを受けているという自覚がないように思います。これでは能力のある人からすると「ばかばかしい」という気持ちが生まれても不思議ではありません(まあ、そんな器が小さい人ばかりではないとは思いますが)。例えば本来、長者番付に記載される人たちというのは国民全員から賞賛され、感謝されるべき人々です。自分の能力や努力によって勝ち得た莫大な対価(全て自分が享受しても良いはずの)を他人に分け与えているのですから。ところが実際はどうでしょうか。直接その人から施しを受けているわけではないために実感が湧かず、あまり感謝されているようには思えません。これって自然なことでしょうか?

富の再分配は現実には社会の発展のために必要だと思います。しかし、それが今のような仕組みで「当たり前のように」行われることは必ずしも良いことだとは思えません。たとえば原則として人頭税のような税制で国民全員から「公平」に税を集めておき、それでは生活が苦しい者には持てる者が「施し」を与えるのが「当たり前」な社会にしてみてはどうでしょうか。今と何が違うのかって? 「与える者の主体性」と「受け取る者の自覚」が違ってくるはずです。それはどこの封建社会だって話もありますが。
これが上手く回るためにはノブレス・オブリージュのようなモラルが根付いていないと駄目でしょうね。英国ならともかく日本では絶望的な気もします。あともちろん、格差が純粋な個人の能力や努力以外の要因によって生まれてしまっていては論外です。上の話は、「貧しき者」と「富める者」が正しく個人が評価された結果として生まれるものでなくては成り立たない話だと思っています(そうでないと本当にただの封建社会になってしまいます)。
まあ、やっぱり現実的な話ではありませんね。某「赤の主義」と同じで個人のモラルまかせな社会が上手くいくことなどほとんどないですし。だから税制のような有無を言わさぬシステムで再分配するしかないということなのでしょうか。だからといって、それを「当たり前」だと思う世の中はどこか間違っていると思わずにはいられないのですが・・・。

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