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これからの国は選ぶもの?

2/27の新聞にちょっと考えさせられる記事がありました。以下、勝手に一部引用。

 今から40年後、米サンフランシスコ沖の水平線に、いくつもの人工島が浮かんでいるかもしれない。
 住むのは、既存の国を見限った人たちだ。彼らは、環境や制度など自分の好みで島を選んで「社会」を営む。各島の「政府」は豊かさをもたらすために、企業のように競争する。

 ~中略~

 意見の違う人たちが話し合って、合意や妥協を探る行為を無駄と考える。同じ考えの持ち主だけで「社会」をつくれば手っ取り早い。ほかの人はそうやってできたいくつもの「社会」の中から、好きなものを選べばいいというわけだ。パソコンや携帯の機種を選ぶように。

 ~後略

記事によると、上記のような人口国家群構想の実現を目指す研究所がアメリカに本当にあるんだそうです。思わずちょっと笑ってしまいました。これ、同じようなことを考えたことがある人、結構多いんじゃないでしょうか。そういう自分も学生時代につらつら考えたことがあります。でも本当に作ろうと思って動く人がいるとはビックリです。

自分がこの手の考えをもったきっかけは、初めてエルサレムの問題を知ったときでした。「意見や思想の違う人が分かり合うのは難しい、和解の道を探るよりも隔離した方が早いのでは」 というのが当時の発想。いかにも勉強不足な第三者がまっさきに考えそうなことです。
次に似たような発想にたどり着いたのは社会主義がなぜ上手くいかないかを考えていたとき。理念は素晴らしいのに実際にやってみると全く機能しない。なぜか?なぜ社会主義国家の指導者は独裁に走るのか?なぜ力で民を弾圧しなくてはならくなるか?
まあ、順当に「意見や思想の違う人が混じってるから」じゃないかと、そうだとしたら、「じゃあ、最初から社会主義を好む人だけで国を作ればいいのでは?」という非常に短絡的な結論に達したわけです。

正直に言うと今でもこんな考えに走りそうになるときはあります。新聞で社会問題を知り、興味が湧いてWebでいろいろ調べると、大抵の問題には複雑なジレンマが存在しているものです。いろいろな立場の人の意見を聞いてるうちに、だんだん何が正しいか分からなくなるんです。そして最後には、「ああ、世の中って面倒くさいなあ」と思って上のような極端な思考に逃げたくなる。思考というより妄想ですね。

話を元に戻すと、だからこそ記事のようなことをまっとうな大人(?)が本当に研究しているというのが驚きでした。否定でも肯定でもなく、ただ単に「どうやって実現するつもりだろう?」という純粋な興味が湧いたわけです。だって、ちょっと考えただけで問題が山積みですから。
新聞の記事ではこの手の話の具体例として、中米のホンジュラスで現実に進んでいる「人工都市」の話が紹介されていました。人が住まない広大な土地を一から開発し、非常に有利な「経済特区」にして企業を誘致する。あらかじめ有識者たちによって定められた法律や社会の基本ルールをもとに行政を行い、完全な治外法権地域とすることで企業の自由を保障する。住民は移り住むのも去るのも自由だが、民主的な手続きでルールを変えることはできない。つまり、ルールが気に食わないなら去れ、ということ。ポイントは、市場が社会に奉仕するのではなく、社会が市場に奉仕する、ということらしい。企業の稼ぎ=国の豊かさ=人口の増加でしょうか。なんか企業と国が一蓮托生なので、興亡が激しそうな予感がします。常に一定数の難民とか流浪の民がいそう。

私はこの手の発想の一番の弱点は、思想が恒久的に全く同じ人などいない、仮にいたとしても国家を形成するほど集まれない、ということに尽きると思ってます。ある程度は同じ人ももちろんいると思いますが、それでも必ずどこかで意見の食い違いはおきます。そのときに民主的手段で解決するのではなく「気に入らない者がその社会から離れる」という行為を強いる共同体は入れ替わりが激しくなり、非常に不安定になります。
分かり易いのが電子ネットワークの世界ではないでしょうか。嗜好(思考)の合う人同士が集まってたはずのコミュニティが簡単に荒れ、廃れて果ててはまた新しくできる。そんなことをパソコン通信の昔から繰り返してなかったでしょうか。好きなことを話合ったり情報交換するだけの場ですら、反目は簡単に起こり得ます。国家のような大きく複雑な共同体を安定して形成するには、かなり画期的なアイデア、パラダイムシフトが必要だと私は思います。

民主主義的な社会が必ずしも優れているとは全く思っていませんが、意見の異なる人と議論してお互いの価値観をすり合わせたり、妥協点を探したり、時には譲ったりすることは、人間が集まって社会を作っていく限りある程度避けられないことなんだと思います。自分の世界に閉じこもって生きるのが容易な今の時代、そういう忍耐力の要る泥臭いことをするのを嫌がる人が(自分も含め)最近は多いですが、そもそも「自分の価値観に閉じこもって生きていける」のは、別の誰かがその環境を守るために他の誰かとの議論やすり合わせを代行しているからに他なりません。(日本ではその代行役がどんどん低俗化している気もしますが)
価値観の同じ人同士で国を作るよりも、国民一人ひとりがもっと積極的にルール作りに関われる(影響力をもつ)社会を目指す方が良いような気が、自分はします。今の国家(というより日本)は、人口が多くなりすぎて、自分の意見を代弁してくれる人がいない(信用できない)という状態に陥っていると思うので。

完全に余談ですが、この記事を読んで、森博嗣の「すべてがFになる」を思い出しました。あの作品に出てくる孤島の研究所がまさに今回の記事のような場所でしたね。治外法権ではなかったようですが。なんとなく、この手の思想を持つ人の傾向が、分かるような気がしました。

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