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むかしむかしのお話

『Dungeons & Dragons』の生みの親であるGary Gygax氏が先月亡くなり、それを追う様にDavid Lance Arneson氏が先日、この世を去った。某ニュース雑談サイトには「亡くなられたなんてとんでもない、イモータルの高みに登られたのだ」という趣旨の書き込みがあって、つい苦笑してしまった。ある意味、愛のあるコメントだと思った。何はともあれ、偉大なクリエータのご冥福をお祈りしたい。

ここであらためて説明するのも野暮だとは思うけど、D&Dは全てのロールプレイングゲームの基礎となったタイトルだ。自分がこのゲームに出会ったのは小学校の高学年の頃だったと記憶している。きっかけは兄が俗に言う赤箱を買ってきて、まわりに遊んでくれる人がいなかったため無理やり付き合わされたという、この手の話ではありがちなパターン(?)だ。当時、自分の家では「ゲーム」と呼ばれるもので遊ぶことがご法度だった。学業に悪影響があるからというのが母の主張で、そのころ流行っていたファミリーコンピュータのようなビデオゲームに対して特に厳しかった。そこで仕方なく、ゲームを自作して遊んでいた時期があった。今でもいくつか思い出せるものがあって、例えば、ドラえもんをモチーフにした双六ゲームを友人の家で作って遊んだことがあった。あれは確かスタートからゴールまでが一本道になっていなくて、いくつか分岐があり、しかも分岐点で来た道を戻ったりできるルールにしていた。どら焼きが描かれたマスに止まると拾うことができて、一定の数をそろえると色々な道具がもらえ、それを使ってジャイアンを倒してゴールする、という流れだったように思う。分岐点を上手く使って如何に自分に有利なマスに止まるかという、今ならカルドセプトみたいな作りが、自分としては斬新なアイデアだと思って悦にひたっていたが、実際にやってみると他のプレイヤとの絡みが薄くて全く面白くないというオチだった。他にも野菜をモチーフにした艦隊戦シミュレーションゲーム(人参が小型戦艦だったり、大根が輸送船だったりした)をノートに一生懸命書いたりしたが、手間が異常にかかるルールになってしまい、途中で投げたのも覚えている。自分の作るゲームはどれもルールが複雑過ぎて、処理が面倒くさい割りに面白くないものばかりだった。ルールが混みいってる方が面白いと勘違いしていたのかもしれない。あの頃の経験から、ゲームに一番大切なのはリアルで細かなルールを作ることではなくて、プレイヤ同士の駆引きが盛り上がる作りか否か、なんだと学んだ。そしてそれが実は一番難しいことで、最終的には自分にゲームクリエータの才能がないことも思い知らされた。
話が激しく脱線したが、D&Dと出会ったのはそんな時期を越えた頃(多少かぶっていたかもしれない)だったと思う。兄にキャラクターシートと呼ばれるものを書かされたときのことを良く覚えている。サイコロを何回か振り、言われた通り紙に書き込むと、お前は頭は悪いが腕っ節の強い戦士だと説明された。小説の朗読のような状況説明の後、「さて、どうする?」と聞かれた。どうすると問われても何ができるのかよく分からなかったので、どうすればよいのか聞いたら「想像力を働かせろ」と怒られた。なんという理不尽なゲームなんだと思った。
はっきり言って、兄とD&Dをやっていた当初は苦痛以外の何者でもなかった。勝ち負けもはっきりせず、終わった後の達成感もなく、ようするに何が面白いのかさっぱりで、しかしつまらないと言えば怒られるわで拷問のようだった。今思えばたった二人で遊んでる時点で無理があったわけだけど、当時の状況では仕方の無いことだったのかもしれない。しかしその後、じわりじわりとロールプレイングゲームの面白さが理解できるようになると、中学に入った頃にはもうどっぷりその魅力にとりつかれていた。その頃の日本ではまったくと言ってもいいほど無名な遊びだったから、周りからはわけの分からない遊びにはまってる変なヤツだと思われていただろう。この時点ではまだ独り遊びに近い状態で、D&Dに触発されて兄が作った、鉛筆サイコロを使って遊べる戦闘をするだけの自作ゲームを友達に無理やりやらせたりしていた。今思うと本当に迷惑なヤツだった。

幸いな事に、少しして国産のRPGがリリースされた。そのおかげで知名度は一気に上がり、一緒に遊んでくれる仲間が沢山できた。あれは本当に幸運なことだったと今は思う。結局、中学から高校、大学と気の合う友人を誘ってコンスタントに遊んだ。自分にとってロールプレイングゲームはそれまでのゲームと一線を画するエポックメイキング的な遊びだった。今でも初めてコンセプトが理解できたときの感動は忘れられない。その後、MTGや人狼BBS、MMORPGなど、新しいコンセプトのゲーム(当時は)をいろいろ試したけれど、あの衝撃を超えるものには、これまでのところ出会っていない。

社会人になり、友人とも頻繁に会えなくなって、RPGで遊ぶことはまったくなくなった。世間ではもうディスプレイの中で遊ぶものが主流で、アンプラグド形態のものは昔に比べて衰退しているように感じる(自分が現役でないのでそう思うだけかもしれない)。海外でも恐らく同じような状況だとは思うが、この手のゲームは人を激しく選ぶので仕方のないことだと思う。時間もかかるし場所も必要だしと敷居が高い遊びであることも間違いない。しかしそれ以上に問題となるのは、人間関係ではないかと思っている。スポーツや音楽と同じで、RPGは一緒にプレイする者の人間性によって楽しさが大きく左右される。気の合う友人とのセッションは時間を忘れるが、そうでない時は苦痛を感じる場合もある。もともと人を選ぶ遊びなのでプレイ人口が少なく、たとえコンベンションなどに参加したとしても、なかなかノリの合う人が見つけられない。結局、友人が付き合ってくれるパターンが一番楽しめるのだと思うが、そういう幸運がずっと続くことは希だ。

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これまで私物をいろいろ整理してきたけど、D&Dだけは捨てられずに手元に残してある。何人かの友人と、定年後にまた集まって遊ぼうと、冗談だか本気だか分からない約束をしている。とりあえず、それまでは残しておきたいなと思っている。ちなみに赤箱の右下が盛大にひしゃげているのは、この写真を撮る時に息子に乱入され、潰された跡だ。精神的にもちょっとへこんだ。あと何十年もこんなものを残しておけるだろうか。残しておけたとして、情熱がまだ残っているだろうか。自分でも分からないなと、正直思う。

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Comments

想像力で物語を作っていくのはステキなんだけどなー。人間は視覚で情報を得る動物じゃない。やっぱり絵がないと苦しい。そしたら3D-RPGツクールみたいなソフトとスカイプを使いたくならない?(笑)
みんなPCの画面見ながらプレイする姿が正しいのか?という疑問はあるけどさ。

Posted by: ササキ | April 24, 2009 at 00:58

そうね、戦闘だけを楽しむなら今のMMORPGで十分だしな。ただ、探索とか謎解きとか、システマチックに処理するのが難しい部分を楽しもうとすると、未だにDMみたいな人間の審判が必要かなーとか思う。でもそのうちきっとPCなりなんなりでも出来る様になるだろう。そうしたらSkypeでやろうぜ(笑)この際、画面観ながらでもOKよ^^

Posted by: 通りすがりの管理人 | April 24, 2009 at 16:16

確実に盛り上がるとおもわれ。
自分のとある分岐点やなにかの原点て、深い部分に刻まれるから。
きっと楽しいよ。
ルールしらないけどなんかできたらSkypeで参加させてちょ^^ノ
距離がなくなるのが、ネットのいいところなのだー

Posted by: にまめ | April 26, 2009 at 01:12

おー、できるようになったら参加よろー。本来のRPGはかなり人を選ぶ遊びだけど、映像が付くならきっと敷居はかなり下がると思う。早くそういう次世代ゲームみたいなのが出てきて欲しいな。

Posted by: 通りすがりの管理人 | April 26, 2009 at 22:48

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