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やっと終了

先日、『ファイアーエムブレム~暁の女神』をクリアしました。難易度はハード。総プレイ時間は70オーバー。プレイ期間は例によって五ヶ月近くかかってます。といっても今回のは据え置き機のタイトルなので、携帯機ゲームほどコンスタントにプレイしていたわけではなく、集中して一気に進めていた時期と、時間が取れなくて放置していた時期が交互にありました。もう腰を据えてじっくりとゲームをすることができない身分になったのだと実感した半年でもあったかも。
と、ハードと共に貸与してくれた友人への遅くなった言い訳はこれぐらいにして、以下、作品の感想を簡単に。

まず悪かったと思う点ですが、それほどありません。戦闘のグラフィックがちょっと安っぽいかなと思ったぐらい。動きに重みがないのは昔からの伝統だし、むしろ戦闘のテンポを良くする為に敢えてやっているようにも思います。おやぢゲーマーとしてはもう開き直って2次元のドット絵で良いんじゃいないのとか思いますが、開発コストが上がる上に一般的には受けが悪いだろうから、あれで正解なんでしょうね。あとは良い所と表裏一体なんですが、自軍ユニットの強さがバラバラな上に、どう頑張って育ててもその差が埋まらないところが、序盤は気になりました。従来のFEっぽくない、というだけなんですけどね。

良かった所はいっぱいあります。まずなんといってもストーリー。これまでのFEの中で一番濃いのは間違いないでしょう。演出が大作RPGっぽくてなかなか新鮮でした。前作を知ってるとかなりテンション上がるのだろうなと思われるところでは、自分は未プレイなので若干の疎外感をうけたりもしましたが、続編だと知っててやってるわけですから文句を言うのはお門違い。個人的には戦闘MAPの合間に入る「会話」コマンドで見れるイベントがかなりお気に入りでした。ああいう本筋には関係ない会話はむしろ作品に厚みが出て面白いと思います。過去の作品に比べると風呂敷がとても大きい話でしたが、最後は予想以上に上手くまとまってて感心しました。テキストのレベルが非常に高くて良かったです。

次にゲームバランスですが、一部ユニットが異常に強く、その他のユニットが相対的に弱くて使い難く感じてしまうところは好みの分かれる設定だと思いました。ただ、じゃあ強いユニットだけで戦えば楽かというと、MAPによってはそれでは勝てないところもあるので、製作側もちゃんと考えて作っているなあと感じました。宝箱の確保とか、必須ではないけれどできれば達成したい目標なんかを追求すると、やはり弱いユニットも上手く使わないといけないところなんかも好感がもてます。あとはアレです、開き直って強いユニットに敵陣へ切り込ませたときのバッタバッタとなぎ倒す感は単純に痛快なので、そういう意味でも面白かったです。従来のFEにあった成長させる楽しみも、まったく無かったわけでもないですしね。自分の場合は、チャップとネイファがコツコツ成長させたら一線級になってくれたのが嬉しかったです。この二人に支援関係を持たせたら、愛情が芽生えたような会話が展開されてちょっと微妙な気分になったりもしましたが。今回の支援会話はプレイヤが自由に組める分、曖昧な内容にせざるを得なかったようで、ちょっと物足りなかったかも。

キャラクタは結構好きなヤツが多かったです。特に主人公のアイクはかなり好みだったので出てきたときは嬉しかったですね。物語の後半に入らないと登場しない主人公ってのは初めてだったので、驚きました。途中まで誰が主人公なのか良く分からなかったです。なんか誰もかれもぱっとしなくて、なんだかなあと思ってました。前作やってた人なんて、いつアイクが出るのかとヤキモキするんじゃないでしょうか。狙ってやってるんだとは思いますが、なかなか斬新な手法だと思いました。

というわけでクリアまで長くかかってしまいましたが、かなり満足しました。FEシリーズはいつまでもこのクオリティを保って欲しいですね。いち信者としていつまでも見届ける所存です。据え置き機で続編がリリースされたら正直、プレイできるか微妙ですが(苦笑)

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ゲームおやぢの懐古話

最近、Blogのタイトルにそぐわないエントリーが増えて、いっそ「徒然ライフ」に名前を変えようかしらと思ったりもしてましたが、自分の基本はやはりゲームだということで先日の昔話で思い出した懐かしのタイトルでも紹介したいと思います。一文長げえ。

みなさんは、アドベンチャーコンバットゲームシリーズという、アバウト過ぎて内容がまったく想像できない名前の作品を知っているでしょうか。『ロストワールド』とも銘打たれているこのゲームは、自分が小学校の低学年ぐらいの頃に発売されたもので、見た目はただの薄い冊子です。ページ数にして20、30ページぐらいだったでしょうか、表紙には騎士や戦士、魔術師といったファンタジーでお馴染みの登場人物が描かれており、中を開くと一ページに一枚の絵と、ゲームブックのようなパラグラフ番号、簡素な状況説明文が記されています。それから忘れてはいけないのが、キャラクターシート。体力などの能力値と「上段から振り下ろす」「なぎ払う」「突く」「強打」などといった行動パターンが番号と共に書かれています。これら冊子とキャラクタシートを2セット用意して遊びます。と言うわけで人間も二人いないと楽しめません。独りで強引に遊べなくもないですが、実際やった者から言わせていただくと大変空しいです。自分の人生について深く省みたくなるので止めておいた方が無難です。

だいたい予想がついたかと思いますが、このゲームはゲームブック形式の対戦ゲームです。自分のキャラクタを一人選び(というか冊子を購入し)、対戦相手にも用意してもらったら、まずキャラクタシートだけ手元に置いて、冊子は相手に渡します。ここが面白いところで、自分も相手の行動結果などが一枚絵とともに描かれた冊子を受け取り、それを見ながらゲームを進めます。つまり自分がキャラクタに同化して常に相手の姿を見ながら戦う、というドラクエのような一人称視点の戦闘が楽しめるわけです。

ゲームの進め方を言葉で説明するのがとても難しい(しかも忘れかかっている)のですが、大雑把に書くと次のようになります。

 ① キャラクタシートの行動表から次にとる行動を決める
 ② 行動に対応した番号を、お互いが同時に宣言する
 ③ 手元の冊子(対戦相手の冊子)を参照して、自分の行動番号と相手の行動番号との組み合わせから導かれる番号をみつけ、お互い相手に伝える
 ④ 相手に言われた番号のページを開いて結果を見る

④の結果でダメージを受けたり(たいてい相手が攻撃してくる絵が描かれている)、逆に自分の攻撃が成功してダメージを与えたり(相手がよろけたり、苦しんでいる絵が描かれている)するわけです。あと、その結果から次にとれる行動が制限されたりもします。かなりいい加減な説明ですが、だいたいこんな感じだったと思います。

一言でいってしまえば、このゲームは複雑なジャンケンです。サイコロのような運の要素は入ってこないので、相手の思考パターンや癖を読む、といった意味では戦略性は高いですが、あくまで心理的なものでしかなく、結局は偶然性に支配される面が多いように感じた覚えがあります。まあ実際は自分が下手なだけだったのかもしれませんが・・・・実は兄にいつも負けていたので、良い思い出のないゲームです(苦笑)しかも卑怯なほど強いという噂だったドラゴンを使っても勝てなかったんですよね。うーん、今思い出しても悔しい。

書いてて懐かしくなったので調べたのですが、もう当時の冊子は入手困難なようですね。苦手なゲームでしたが仕組み自体は面白いので、どこかで見かけたら確保しておきたい一品です。

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何も悪くないと言いたい

何気に大好きな草なぎくんが、大胆なことをしでかして物議を醸しておりますな。
うーん、普通の人だったら何バカなことやってんのってなもんで、ご近所迷惑でごめんなさいレベルで終了(公然わいせつ罪すれすれか?)なわけだけど、芸能人だとそれじゃ済まないんだなあと。可哀想、と言うには本人の責が重いか。イメージを売りにしている自覚が足りないというところなんでしょう。「裸で何が悪い」と啖呵を切ったらしいですが、個人的には何も悪くないというか、草薙くんの裸ならウェルカムな人がいっぱいいただろうと思ったりしました。ファンが殺到しなくて良かったね!(※そういう問題じゃない)

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むかしむかしのお話

『Dungeons & Dragons』の生みの親であるGary Gygax氏が先月亡くなり、それを追う様にDavid Lance Arneson氏が先日、この世を去った。某ニュース雑談サイトには「亡くなられたなんてとんでもない、イモータルの高みに登られたのだ」という趣旨の書き込みがあって、つい苦笑してしまった。ある意味、愛のあるコメントだと思った。何はともあれ、偉大なクリエータのご冥福をお祈りしたい。

ここであらためて説明するのも野暮だとは思うけど、D&Dは全てのロールプレイングゲームの基礎となったタイトルだ。自分がこのゲームに出会ったのは小学校の高学年の頃だったと記憶している。きっかけは兄が俗に言う赤箱を買ってきて、まわりに遊んでくれる人がいなかったため無理やり付き合わされたという、この手の話ではありがちなパターン(?)だ。当時、自分の家では「ゲーム」と呼ばれるもので遊ぶことがご法度だった。学業に悪影響があるからというのが母の主張で、そのころ流行っていたファミリーコンピュータのようなビデオゲームに対して特に厳しかった。そこで仕方なく、ゲームを自作して遊んでいた時期があった。今でもいくつか思い出せるものがあって、例えば、ドラえもんをモチーフにした双六ゲームを友人の家で作って遊んだことがあった。あれは確かスタートからゴールまでが一本道になっていなくて、いくつか分岐があり、しかも分岐点で来た道を戻ったりできるルールにしていた。どら焼きが描かれたマスに止まると拾うことができて、一定の数をそろえると色々な道具がもらえ、それを使ってジャイアンを倒してゴールする、という流れだったように思う。分岐点を上手く使って如何に自分に有利なマスに止まるかという、今ならカルドセプトみたいな作りが、自分としては斬新なアイデアだと思って悦にひたっていたが、実際にやってみると他のプレイヤとの絡みが薄くて全く面白くないというオチだった。他にも野菜をモチーフにした艦隊戦シミュレーションゲーム(人参が小型戦艦だったり、大根が輸送船だったりした)をノートに一生懸命書いたりしたが、手間が異常にかかるルールになってしまい、途中で投げたのも覚えている。自分の作るゲームはどれもルールが複雑過ぎて、処理が面倒くさい割りに面白くないものばかりだった。ルールが混みいってる方が面白いと勘違いしていたのかもしれない。あの頃の経験から、ゲームに一番大切なのはリアルで細かなルールを作ることではなくて、プレイヤ同士の駆引きが盛り上がる作りか否か、なんだと学んだ。そしてそれが実は一番難しいことで、最終的には自分にゲームクリエータの才能がないことも思い知らされた。
話が激しく脱線したが、D&Dと出会ったのはそんな時期を越えた頃(多少かぶっていたかもしれない)だったと思う。兄にキャラクターシートと呼ばれるものを書かされたときのことを良く覚えている。サイコロを何回か振り、言われた通り紙に書き込むと、お前は頭は悪いが腕っ節の強い戦士だと説明された。小説の朗読のような状況説明の後、「さて、どうする?」と聞かれた。どうすると問われても何ができるのかよく分からなかったので、どうすればよいのか聞いたら「想像力を働かせろ」と怒られた。なんという理不尽なゲームなんだと思った。
はっきり言って、兄とD&Dをやっていた当初は苦痛以外の何者でもなかった。勝ち負けもはっきりせず、終わった後の達成感もなく、ようするに何が面白いのかさっぱりで、しかしつまらないと言えば怒られるわで拷問のようだった。今思えばたった二人で遊んでる時点で無理があったわけだけど、当時の状況では仕方の無いことだったのかもしれない。しかしその後、じわりじわりとロールプレイングゲームの面白さが理解できるようになると、中学に入った頃にはもうどっぷりその魅力にとりつかれていた。その頃の日本ではまったくと言ってもいいほど無名な遊びだったから、周りからはわけの分からない遊びにはまってる変なヤツだと思われていただろう。この時点ではまだ独り遊びに近い状態で、D&Dに触発されて兄が作った、鉛筆サイコロを使って遊べる戦闘をするだけの自作ゲームを友達に無理やりやらせたりしていた。今思うと本当に迷惑なヤツだった。

幸いな事に、少しして国産のRPGがリリースされた。そのおかげで知名度は一気に上がり、一緒に遊んでくれる仲間が沢山できた。あれは本当に幸運なことだったと今は思う。結局、中学から高校、大学と気の合う友人を誘ってコンスタントに遊んだ。自分にとってロールプレイングゲームはそれまでのゲームと一線を画するエポックメイキング的な遊びだった。今でも初めてコンセプトが理解できたときの感動は忘れられない。その後、MTGや人狼BBS、MMORPGなど、新しいコンセプトのゲーム(当時は)をいろいろ試したけれど、あの衝撃を超えるものには、これまでのところ出会っていない。

社会人になり、友人とも頻繁に会えなくなって、RPGで遊ぶことはまったくなくなった。世間ではもうディスプレイの中で遊ぶものが主流で、アンプラグド形態のものは昔に比べて衰退しているように感じる(自分が現役でないのでそう思うだけかもしれない)。海外でも恐らく同じような状況だとは思うが、この手のゲームは人を激しく選ぶので仕方のないことだと思う。時間もかかるし場所も必要だしと敷居が高い遊びであることも間違いない。しかしそれ以上に問題となるのは、人間関係ではないかと思っている。スポーツや音楽と同じで、RPGは一緒にプレイする者の人間性によって楽しさが大きく左右される。気の合う友人とのセッションは時間を忘れるが、そうでない時は苦痛を感じる場合もある。もともと人を選ぶ遊びなのでプレイ人口が少なく、たとえコンベンションなどに参加したとしても、なかなかノリの合う人が見つけられない。結局、友人が付き合ってくれるパターンが一番楽しめるのだと思うが、そういう幸運がずっと続くことは希だ。

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これまで私物をいろいろ整理してきたけど、D&Dだけは捨てられずに手元に残してある。何人かの友人と、定年後にまた集まって遊ぼうと、冗談だか本気だか分からない約束をしている。とりあえず、それまでは残しておきたいなと思っている。ちなみに赤箱の右下が盛大にひしゃげているのは、この写真を撮る時に息子に乱入され、潰された跡だ。精神的にもちょっとへこんだ。あと何十年もこんなものを残しておけるだろうか。残しておけたとして、情熱がまだ残っているだろうか。自分でも分からないなと、正直思う。

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とれびあーん(死)

少し前から『トラビアン』というブラウザゲームを試している。
その名の通り、IEのようなブラウザだけで遊べるネットワークゲームだ。内容は「Age of Empireみたいなやつ」と言えば分かる人は分かるだろうか。自分の村を中心に、畑や鉱山、きこり場などを作り、資源を集め、兵舎などの建物を建築し、兵隊を編成し、他の村を攻める/侵略から村を守る、というのが大まかな流れである。かつて一世を風靡した上記のRTSを知っていれば、なぜ今更と思うほどオーソドックスな内容になっている。
このゲームの"売り"の一つは、他の全ての村にプレイヤーが存在していることだろう。厳密には違うかもしれないが、MMOシミュレーションゲームと言えなくもない。プレイヤーは1つのサーバーで1万人前後いるようなので、村の数もそれだけあることになる。考えてみると途方もなくカオスな状況だ。
ここまでの説明を聞いて、そんな規模でゲームとして成立するのか?というもっともな疑問を感じた人もいるかと思う。実はこのゲーム、基本的に時間の流れが非常に遅いのだ。恐らく最大のキモがこのあたりにあると思われる。たとえば畑を作ったり発展させたりするのに数分かかる。ゲーム時間とかそういうことではなく、実際に数分かかる。しかもコマンドは(基本的に)一度に一つしか実行できない。ようするに畑を作る命令を下したら、畑ができるまで数分間何もできない。待つしかない。まだ数日しかプレイしていないのではっきりとは言えないけど、建設や生産だけでなく、他の村への侵略などの戦闘イベントも基本的にはコマンドを入力して結果を待つだけのシステムのようだ。
このことからも分かるように、トラビアンは通常の(?)ネットゲームとは異なるコンセプトで作られている。非同期型というらしい。PCの前に座って短時間で集中して遊ぶのではなく、たまにブラウザを立ち上げて村の状況を確認し、そのとき最も適したコマンドを入力して終わるというスタイルだ。「放置ゲー」と言ってもいいかもしれない。(そういえば、ガンダムのネットワークゲームでも似たようなシステムのものがあったような)

このエントリーを書きながらも、ちょこちょことコマンドを入れている。たった今、最後のクエストが終わったところだ。クエストとはいわゆるチュートリアルのことで、言われた通りにコマンドを入力していくと、ゲームのシステムが一通り理解できるようになっている。一つ完了させるごとに資源がもらえたり、通常は有料のオプションが期間限定で使えたりなんて特典があるのでやらない手はない。

ここまでプレイしての雑感だけど、正直まだシステムや面白さがあまり理解できていない。時間のない人でも遊べるかと思いきや、コマンドの待ち時間は5分から1時間程度だから、効率よく村を発展させるためには結局ずっとブラウザに張り付いている必要がある・・・?ような気がする。実際は休み無く発展させようとしても資源が枯渇したりするので、放置時間が必要かもしれない。ちなみに私は1日2コマンド程度の超適当なやり方で進めていたら、初心者期間(他の村から攻撃されない)が終わるや否や侵略されてあっさり資源をぶんどられてしまった。wikiなんかを見ると、この初心者期間の間に「隠し倉庫」という侵略されて負けてもぶんどられない資源数を確保し、痛手を減らせと書いてある。なるほどと思ったが、そのためにはやっぱりある程度こまめにログインが必要なような。あと、MMOスタイルなのでサーバーのスタート時からプレイしている人とそうでない人とで当然、発展度合いに差がでる。個人対個人という構図では古参と新規の間でゲームが成り立たないので、「同盟」というキーワードが重要になってくるのは間違いない。新規は古参の傘下もしくは新規の連合に入って庇護/協力しつつ発展させることも必要ということだろう。まあ、周囲にどのような村があるかという地理的な要素もからんでくる気がするのでなんとも言えないけど。それはそうと、ゲームの勝利条件がよく分からん(笑)誰か教えてください。

そんなわけで自分自身で面白さがよく分かっていない状態だけれども、一人だと寂しいので一緒に遊んでくれる人を大募集!つまらなかったらグダグダに終了する可能性大だけどそれでも良ければ。なんて言ってたら誰も来ないかしら。個人的にはいろいろなゲームを体験して知見を広げたいなというところです。勝ちに拘らなければそれほど時間かからなそうだし・・・・?甘いかな。

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徒然なるままに4/11

仕事がら、アプリケーションのマニュアルや参考書を読んだり作ったりすることが多い。
そのなかで気づいたことに、「複雑なアプリケーションであるほど、マニュアルは簡潔なほうが良い」というのがある。

昔、といっても数年ぐらい前、自分が今の仕事についた頃はできるだけ親切なマニュアルを作るのが良いと思っていた。まったく知識のない人でも書いてあることを順番に実行していけば、何がしかの結果が得られるようなものである。実際、市販されている「サルでも分かる系」の参考書はそういう作りになっているものが多い。
この手の参考書やマニュアルは確かにとっつきが良いのだけど、問題点が2つあるように思う。
一つは内容が冗長になりがちで、一通り読むのに時間がかかるということ。だいたいこの手のは辞書のように分厚い。忍耐力が続かなくて途中で挫折する人もいるのではないかと思う。必要なときに必要な箇所だけ読めば良い、という意見もたまに聞くが、それはある程度全体が理解できているからできることだし、またそういったリファレンス型の参考書でないと効率が悪い。
もう一つの問題はアプリケーションに対する理解が遅くなることだと思っている。親切に手取り足取り教えてもらったものは得てして忘れやすいものだ。GPSで指示されながら運転をすると、むしろ道を覚えられなかったりする。あと、ちょっと違うかもしれないけど、ワープロソフトを使って文章を書いていると漢字が書けなくなるのも、似たような状況なのではと推測する。要するに心のどこかで「お任せすれば良いや」という甘えが生じるのだと自分は理解している。

例えば複雑なアプリケーションでは目的の動作をさせるための操作方法が幾通りも存在するときがある。どのような操作をしても結果が同じなのだから、使う人が好きにすれば良いのだが、「サルでもわかる系」のマニュアルはそのうちの一つの操作方法を詳しく説明してしまう。いろいろありますよと書くと混乱するからだと思うが、かといって一つの操作方法があたかも唯一解であるように教えてしまうと応用が利かなくなる。たとえ分かりにくくても、基本的なことだけ簡潔に書いて、あとは自由に好きなように動かしてみなさい、と突き放すぐらいのマニュアルで十分なのだと私は思う。

もちろん、こういった話は十羽一からげで言えることではなくて、ここではプログラミング言語の開発環境や汎用FEMプログラムのような複雑なアプリケーションの場合を想定して話をしている。この手のツールを本気で使いこなそうと思うのなら、「自分で試す」ことで「多くの失敗をする」そして「何が悪かったのかと悩む/調べる」という過程が避けられないように思う。たまにそうならない為のマニュアルをうたっているものもあるが、前述のように自分で考えようとするモチベーションを損ない、結果的に理解が遅くなる可能性があるのでオススメできない、というのが私の主張だ。ま、人によるとは思うけど。
キーワードの説明だけが簡潔に載っているリファレンス型の参考書が、結局は一番役に立つのではないかと個人的には思っている。

というわけで「詳細な手順書は作る必要ないんじゃないですかね」と上司にお伺いしてみたんですが、屁理屈は良いからさっさと仕事しろとばっさり切られました。ガッデム。

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野球はええのう

ちょっとタイミング外してるけど、良い動画を見かけたので紹介。
キーワードは「一万年と二千年前から『野球』を愛してる」。
修正verでない方が良いと思う。
自分、プロ野球は詳しくないけど、情熱が伝わってきました。
野球って戦前からあるんですね。

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牛乳に相談だ

日替わり物欲コーナー。
管理人が衝動的に欲しくなったものをぐだぐだと紹介する、しょーもない企画。チラシの裏に書けとか言うな。

栄えある第一回目はコレだ!

何を隠そう、今朝の通勤時に立日橋付近で後ろから颯爽と抜かれたのがこのバイク。その後、信号で追いついてみたらタンク脇に「GS」の文字が見て取れたので検索してみたらBMWのR1200Adventureであることが判明。一目で惚れてしまいました。そこらの写真では分からないかもしれないけど、非常に重量感のあるバイクで、実際、走行時の重量は250kgを超えるらしい。タンクが大きく横に張り出してたのでコケたら大変だなと思ってふと下をみたら、水平対向のエンジンがもっと張り出してた。車幅は貫禄の980mm。ちなみに車高は1500mm超。ワタクシの身長とたいしてかわらない。傾けたら起こすのが難しいだろうと思われます。というか自分じゃ100%無理だ。
んで、こいつの何が良いって、こんなゴツイのにとても気品があるんだこれが。なんだろうね、もう日本のオートバイとは一線を画しているように感じた。カテゴリが違うっていうか。原チャ・普通二輪・大型二輪・BMW、みたいな。

購入の可能性ですが完全にゼロです。理由は簡単で自分の体格では乗れないから。経済的なこととかそういうのは、なりふり構わず行動すればどうにかなるかもしれないけど、「体格」ばっかりはどうしようもありません。俗に言う超えられない壁ってやつです。世の中にはお金がいくらあってもできないことってやっぱりあるですよコンチキショウ!
まあ、お金もないんで「体格」あっても結果は同じ気もするね。

ちなみにこのコーナーにオチはありません。きっと2回目もありません。

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徒然なるままに4/7

昨日、午後半休をとって病院へ行ってみた。例の膝の症状を見てもらったのだが、予想通りランナーズニーだとの診断だった。念のためレントゲンも撮ったんだけど、骨自体は老化もみられず、すこぶる健康だそうだ。症状を改善させるには膝を使わないことが一番、との助言をいただいた。けど、大会が終わってから休みまくってたんだけどなあ。一ヶ月半以上たってまだ痛いのって、なんか別の原因があるんじゃないかしら。やっぱり気になるっす。

とりあえず筋肉トレーニングでもしながら様子をみるしかなさそうだ。

そういえば、タレントの松村が東京マラソンで倒れて一時はどうなるかと思ってたら、無事生還したようで。よかったよかった。回復後の会見でもしっかりネタを披露できるのって単純に凄いなと思った。別に好きでも嫌いでもないけど、あのプロ根性には感服する。

それにしても最近の人は、マラソンを甘く見過ぎなんじゃないかと思う。
俺とか。

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徒然なるままに4/2

ETCの助成制度が大変なことになってるらしい。

最初に助成のニュースを聞いたとき、自分はほとんど高速道路を使わないから、暇があったら検討しようかなぐらいに考えていたのだけど、いや、まったくとんでもないことだった。助成開始初日から申し込みが殺到して、一瞬のうちに完売した店舗もあったそうだ。バイク乗りの友人や会社の先輩もチャレンジしてみたそうだけど、バイク用ETCは車よりもさらに在庫が少ないらしくてどこも入荷待ち状態。そもそも助成を実施するにあたって、在庫のチェックをまったくしていなかったのではないかというぐらいのお粗末ぶり。今から予約したって、とても期間中には無理だ・・・と半ば諦めていたら、流石にこの状況はまずいと思ったのか助成期間が延長になり、上限の5万台(バイクETCの場合)に達するまで続けることになった。ここまでは結構前の話。
それを聞いて、じゃあ買いたい人はとりあえず申し込んでおけばいいのねと自分は安易に考えて、一件落着かと思っていたのだけど、どうも事はそんなに簡単じゃないみたい。

ここからは会社の先輩に聞いた話なのだけど、バイク用のETCというのは実質、一社しか作っていないんだそうだ。理由は技術的に難しい割に台数が出なくて儲からないからだとか。これまでに販売した台数が2年間で10万台前後。車の何十分の一しか売れていない。そんな状態の製品を急に5万台売ろうとしたって、当然、生産が追いつくわけがない。今のところの見通しでは10月ぐらいまでかかるかもしれないそうだ。
10月って・・・・半年後ですよ。その間にせっかく安くなった高速道路を割高で利用しなきゃいけないわけで、助成のありがたみも薄れるってもんだよなあ。だって助成がなかったらこんなに殺到しなくて、本当に必要な人が買えたかもしれないわけで。バイクは特に助成金額が多くてかなりの割安になるから、無駄に買ってる人もいるって話。まったく、ライダーとしてはやるせない思いの人も多いのではないかと思う。

この助成制度を企画した人には『大戦略』でもやらせて「生産」というのがどういうものかを勉強してもらいたい。1ターンでM1A1エイブラムスを100台作ろうと思ったらどのぐらいの資金力と工場が必要なのか。いや、『マリーのアトリエ』でもなんでもいいんだけどさ。物ができる流れをもう少し真面目に考えて欲しいよな。と、無理やりゲームネタに絡めつつ、一消費者の立場で愚痴ってみたりする。

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