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求むMMO野球ゲーム

一ヶ月以上も「年の瀬」状態ですみませんでした。

年明け一発目のエントリーはゲーム雑談です。

先日こんな記事を読んでちょっと思ったことがあったので書いてみます。
例によって話題がちょっと古いですが気にしてはいけません。

JRPGが変えなければならない7つのこと(原題「7 J-RPG Hates (And What Needs To Change)」)だそうです。どうでもいいですが、「~しなければならない○○(数字)のこと」というタイトルは、海外のコラムではよく使われるパターンっぽいですね。ときどき覗いてる海外のニュース紹介サイトでも頻繁に見かけるフレーズです。
それはさておき、初めにこの記事を読んだときに思ったのは、「ああ、やっぱり自分は海外の嗜好に近いんだな」ということでした。しなければならない、などとずいぶん上から目線の物言いをしているのはまあご愛嬌として、これは要するに、海外のゲーマー達はこういうRPGを好むんですよ、という紹介みたいなもんですよね。全項目に共感するわけではないですけど(4番目の海外吹き替え声優事情なんて分からないし)概ね自分の感性に近いなと思ったわけです。

この話の本質は唯の好き嫌い論なので、内容が正しいとか間違ってるとかそういう分析をするのはナンセンスなんですが、まあタイトルが挑戦的?だからか日本のネットの反応は軒並み反抗的で、ちょっと検索しただけでも「手前等の嗜好だけで評価するな、海外のRPGだって○×△□・・・・」と実に不毛な水掛け論が延々続いていてウンザリします。
そんなわけでこれ以上この内容について論じても詮無いんですけど、ただ自分はこのコラムがまったく無意味だとは思ってなくて、日本のRPGが如何に特殊な嗜好に沿って製作されているかを自覚できる、と言う意味では貴重な記事だったんではと思うんですよね。もともと携帯電話の市場とか漫画とか、日本は独自の技術で独りだけ突っ走る嫌いがあるじゃないですか。そういうのを改めるべきだという人もいるけど、個性はあったほうが良いし、むしろそういう独自の文化を守っていくために、自分達の思想、センスが実は世の中のメジャーではないんだ、ということをまず客観的に理解するのが大切だと思う。

んでじゃあ、日本のゲームと海外のゲームって根本的に何が違うんだろうって考えたときに、一つには求めているものが間逆なんじゃないかとか思うわけです。RPGに限らず、海外のゲームはリアリティの追求が顕著です。アクション/シューティングゲームで言えば、日本はグラディウスやマリオに代表されるように3次元的な表現を取り入れつつも、結局は2次元の画面スクロールから脱却していない、というか敢えてしない。どこまでいってもデフォルメにこだわっている。一方、海外は今はもうFPSが主流で、表現的な制約はほとんどなし。「ハードの進化」即ち「ゲームのリアリティ向上」です。
シミュレーションゲームでも同じようなことが言える気がします。かつて、ハードの性能が低かったころは碁盤の目のようなものに駒を置いて、駒はマスに支配されながら動くことでゲームを構築していました。なぜならそうすることでゲームの進行や判定が明快になり、処理がしやすかったからです。ボードゲームの延長線上ですね。人間でもできる処理であれば昔の計算機でも簡単だったのでしょう。これは日本も海外も同じだったと思います。ところがコンピュータの処理能力が高くなると、海外のクリエータはマス目という概念をなくしました。そして時間の概念もターン(手番)ではなくリアルタイム処理にしました。日本では、一部でそのようなタイトルもありますが、主流にはなっていないように思います。日本人はシミュレーションゲームにおいて自分の計算できない(コントロールできない)曖昧な部分があるのを好まない傾向があるのに対し、海外ではゲームの進行がスムーズであれば些細なところは目をつぶる、むしろマスやターンといった「制約」はできるだけなくしたいという意思が強いようです。そういった方向での進化が続いた結果、日本では何十シリーズにも及ぶ続編の果てにこんなんが出たりと迷走しつつも未だ古き良きヘックスシミュレーションが発売され続け、海外はというとシヴィライゼーションを除くほとんどがRTSというスタイルに落ち着いたようにも見えます。
RPGの分野を見ても、ドラクエとOblivionを引き合いに出すまでも無く、両者の傾向は他のジャンルと同様だと思えます。

無理やりまとめるとすれば、結局のところ日本人は、デフォルメされた記号が好きなんじゃないでしょうか。自分達が把握できる、ルールの明確な、シンプルで美しい方程式で現される小さな世界を作りたいのです。要するに抽象化の方向ですね。まるで枯山水のような。
翻って海外のクリエータ達の最終目標は、現実となんら変わることのない仮想世界を作り出すことなのかもしれません。作り出した本人にすらコントロールできず、予想できない事態が起きるような、そんな複雑系ワールドを構築したいのではないでしょうか。
そう考えると、海外のゲームって最終的にはどのジャンルも統合されるのかな?
とか、さすがにそれは妄想しすぎですかね。

いずれにしても、自分が死ぬ頃にはいったいどんなゲームがでてきているのかと考えると、とても楽しみです。個人的には早く野球を9人でプレーするゲームが出てきて欲しいところ。スポーツゲームのジャンルって和洋問わず、なかなか進歩しないような。やっぱ「ゲームじゃなくて現実でやれ」ってことですか?間違った方向に進化した作品ならあるようなんですけどね。

 

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Comments

>間違った方向に進化した作品・・・
進化しとらんだろw
日本と海外とのゲームの作り方の違いというより会社のあり方(方針?)の違いもあると思うよ、俺は
日本の場合、好きに作らせて貰えないんじゃないかと・・・「CERO」なんてものも在るしね

Posted by: 禿げお元気ですか? | February 11, 2009 at 20:09

確かに社風というか業界の風土みたいなものありそうだよね。そもそも子供がターゲットのビジネスとして発展してきたという経緯も含めて。
例のゲームは2008年度のクソゲー・オブ・ザ・イヤーにみたいなのに輝いたらしいぜ。野球ゲームだと思うからいけない、みたいな発想でいけばある意味進化じゃないかな。無理あるか。

Posted by: 通りすがりの管理人 | February 11, 2009 at 21:58

サッカーでは11人プレーのオンラインゲームがあったような?(記憶違い?)バーチャル空間なのでレッスルボールみたいな現実ではありえないスポーツのほうが良いなぁ。そういう意味で殺戮的なFPSは正しい方向だと思う。

わたしもJRPGと云われる所以は、日本では未成年がターゲットであるところが大きいと思う。例えCEROがあってもコンシューマの場合、子供が触れることを前提にしていないと拙いというか。海外だと自己責任の領域も、日本じゃメーカが悪者にされることがあるから。あと国民性の違いとしか言いようの無い部分と思うけど、日本では視覚的な表現の規制が厳しいんだよね。文章ではかなり過激な表現も許容されるのに(娯楽と芸術の差?)。

Posted by: ササキ | February 15, 2009 at 19:06

ホントだ!サッカーだとあるね!しかもコンシューマでできるのか・・・・。チェックが甘いだけだった。これなら野球もあって良いと思うんだが。試合時間が決まってないのがネックなのかね。単に野球に人気がないだけかもしれんが。
日本ってTVゲームは基本的に子供の遊びってイメージだな。海外だといい大人がはまってるのが普通な感じだけど。E3のニュース動画とか見ても子供があまり写ってないし。最新FPSの体験コーナーとかで大人がヒャッホイしてたりして、日本人としては違和感あるけどそれが普通なんだろうね。

Posted by: 通りすがりの管理人 | February 15, 2009 at 23:50

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