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忘れないうちに

もう2週間ほど経ってしまいましたが、記録として青梅マラソンのことを書いておきます。

当日(2/15(日))は冬とは思えないほど気温が高くなる、という予報だったので、少し薄着をして家を出たのですが、9~10時の時点ではそれほど暖かくもありませんでした。自転車で駅まで行く間は寒さでガタガタ震えてしまうほど。ちなみに私は最後までジャージで移動するかどうか迷ったのですが、やはりなんとなく気恥ずかしかったので普段着で行きました。おかげで大きなボストンバッグに着替えを持っていくはめになりましたが。

立川で青梅線に乗り換えると、そこは既に青梅マラソンワールドでした。乗っている人ほとんどがジャージか、そうでなくても普段着にランニングシューズという特異ファッション。誰もがお互いを目の隅で意識しているような空気が正直嫌な感じ。できれば自動車で移動したかったです。

河辺駅(青梅マラソンのスタート地点にもっとも近い駅)の周辺は普通にお祭り状態でした。屋台とか変な勧誘とかわんさかいて、人ごみの苦手な自分は出場者の流れに沿ってそそくさと受付会場へ。さくっとゼッケンをゲットして着替えるために総合体育館へ移動、途中、朝食と飲み物をコンビニで購入。

体育館には10時ぐらいに着いたのですが、前回の山中湖ロードレースと同様、難民キャンプの様相を呈していて、とても中で場所を確保できそうになったので、外の適当なところで着替えと遅めの朝食をとりました。家からジャージで来る人の気持ちもなんとなく分かった気が。

11時頃になって暑くなってきました。ウェアは前日に急遽買ったハーフトランクスと半袖をチョイス。ポケットに氷砂糖を10個ほど入れました。適当に運動していると、出走15分前になったので貴重品を預けてスタート地点へ。

アホみたいに人が並んでました。1km以上はあるかもしれない公道を人が埋め尽くしている様は圧巻でしたが、暇な人が結構いるんだなという感慨もちょっと湧いたりして。山中湖ロードレースではスタート直前の10分が異常に長く感じましたが、今回は気がついたら号砲が鳴ってた感じ。緊張感あまりなし。

言い訳をするのもアレなのですが、今回はいろいろあって、ノートレーニングの状態で出場していたので、完走する気はあまりなく、とにかくゆっくりマイペースに走ってどこまでいけるか試そう、という気持ちでした。なので、Nike+でゲーム音楽を聴きながらキロ6~7分ペースで適当にテロテロ走行。序盤から次々に抜かれましたが気にしないことにしました。

10km地点あたりで早くも右足の膝に違和感が出始めました。あー、やっぱりこんなもんかと思いながら、あえてペースを変えずにそのまま走りました。完走は無理かなと思い、せめて折り返し地点ぐらいは到達したいと思っていると、案外そのまま、容態も悪化せず14kmの折り返し地点に。これはいけるか?という淡い期待と、あまり調子にのると一気に崩れるかもという不安が入り混じりながら、とにかくペースを変えないようにNike+でチェックしながら走ります。途中の坂道と、給水所が一番苦労しました。前者は自然とスピードがあがりがちになるのを抑えるのが辛いし、後者は水を取ろうとする人が複雑な動きをするのでそれを避けるのに無駄な体力を使うためです。ちなみに自分は超スローペースだったのでほとんど汗もかかず、水の補給は必要ありませんでした。あまりに遅いので体温が上がらずに半袖だと寒いくらい。そういう意味でウェアの選択は失敗だったかもしれません。逆に食べ物はチョコレートを中心にいっぱいもらって食べました。特に可愛い娘が差し出してるものは遠くからチェックしてコースを微調整してまで取りました。何やってんの俺。あとは氷砂糖も今回大活躍してました。

余談ですが、青梅マラソンは折り返しがあるので、先頭集団とすれ違えるのが楽しかったです。こちらが10kmぐらいのときにすれ違ったので約2倍の速さ(キロ3分ぐらい?)で進んでることになります。速い。化け物じみてました。実際、先頭集団の人ってみんな同じような体型なんですよね。あれが走ることに特化した体なんだなあと、妙に納得してしまった。

さて凡人も凡人、トレーニングもまともにしてこなかった無謀な人は23km地点ぐらいで膝の違和感が強くなりました。棄権しようか迷ったのですが、なんかもうここまできたら最後まで走っても同じではないかという気がして、結局そのまま走ることに。体力的には問題ないと判断できたこともその気持ちを後押ししました。それでも最後の数キロはやっぱりきつかった。なんか思ったんですが、あと数キロだと思うから辛いんじゃないかって気もしましたね。精神的な問題かも。

んでゴール直前、河辺に戻ってくるわけですが、総合体育館の前に時計が置いてありまして。見ると『2:59:30』とか表示されてるわけですよ。あ、3時間きれるかも。と思わずダッシュ。そのときだけは膝の痛みとか忘れてました。火事場のクソ力みたいなのって本当にあるんだなあとか、ちょっと思った。

タイムは2:59:53でした。これは号砲が鳴ってからのタイムなので、私がスタート地点を通ってからのタイムはもう少し短いと思います。

完走できて嬉しい反面、ああ、これで明日からキツイなという暗い気持ちを胸に帰宅。無理して走る予定じゃなかったのに、という自分の計画性のなさというかだらしなさがちょっと悔しかったというところです。

予定では次はフルマラソンなんですが・・・今回30kmを走って、まだまだそのレベルではないと感じたので、次回もハーフぐらいになるかもしれません。というか、無理な走りばかりしてきた報いで、ランニング膝になりかかってる(かもう既になってる)みたいなので、まずはそれをなんとか直さないと駄目っぽいです。ようするに普段からもっと運動しないといけないんですよね。今年はバイクでずっと通勤してたので、それも影響してるのかも。

後日談ですが、きっちり1週間はまともに歩けませんでした。バイクじゃないと通勤もままならないぐらい。体が資本の仕事だったら支障が出てましたね。まあそういう職業ならこんな状態にならなかったかも知れませんが。

 

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求むMMO野球ゲーム

一ヶ月以上も「年の瀬」状態ですみませんでした。

年明け一発目のエントリーはゲーム雑談です。

先日こんな記事を読んでちょっと思ったことがあったので書いてみます。
例によって話題がちょっと古いですが気にしてはいけません。

JRPGが変えなければならない7つのこと(原題「7 J-RPG Hates (And What Needs To Change)」)だそうです。どうでもいいですが、「~しなければならない○○(数字)のこと」というタイトルは、海外のコラムではよく使われるパターンっぽいですね。ときどき覗いてる海外のニュース紹介サイトでも頻繁に見かけるフレーズです。
それはさておき、初めにこの記事を読んだときに思ったのは、「ああ、やっぱり自分は海外の嗜好に近いんだな」ということでした。しなければならない、などとずいぶん上から目線の物言いをしているのはまあご愛嬌として、これは要するに、海外のゲーマー達はこういうRPGを好むんですよ、という紹介みたいなもんですよね。全項目に共感するわけではないですけど(4番目の海外吹き替え声優事情なんて分からないし)概ね自分の感性に近いなと思ったわけです。

この話の本質は唯の好き嫌い論なので、内容が正しいとか間違ってるとかそういう分析をするのはナンセンスなんですが、まあタイトルが挑戦的?だからか日本のネットの反応は軒並み反抗的で、ちょっと検索しただけでも「手前等の嗜好だけで評価するな、海外のRPGだって○×△□・・・・」と実に不毛な水掛け論が延々続いていてウンザリします。
そんなわけでこれ以上この内容について論じても詮無いんですけど、ただ自分はこのコラムがまったく無意味だとは思ってなくて、日本のRPGが如何に特殊な嗜好に沿って製作されているかを自覚できる、と言う意味では貴重な記事だったんではと思うんですよね。もともと携帯電話の市場とか漫画とか、日本は独自の技術で独りだけ突っ走る嫌いがあるじゃないですか。そういうのを改めるべきだという人もいるけど、個性はあったほうが良いし、むしろそういう独自の文化を守っていくために、自分達の思想、センスが実は世の中のメジャーではないんだ、ということをまず客観的に理解するのが大切だと思う。

んでじゃあ、日本のゲームと海外のゲームって根本的に何が違うんだろうって考えたときに、一つには求めているものが間逆なんじゃないかとか思うわけです。RPGに限らず、海外のゲームはリアリティの追求が顕著です。アクション/シューティングゲームで言えば、日本はグラディウスやマリオに代表されるように3次元的な表現を取り入れつつも、結局は2次元の画面スクロールから脱却していない、というか敢えてしない。どこまでいってもデフォルメにこだわっている。一方、海外は今はもうFPSが主流で、表現的な制約はほとんどなし。「ハードの進化」即ち「ゲームのリアリティ向上」です。
シミュレーションゲームでも同じようなことが言える気がします。かつて、ハードの性能が低かったころは碁盤の目のようなものに駒を置いて、駒はマスに支配されながら動くことでゲームを構築していました。なぜならそうすることでゲームの進行や判定が明快になり、処理がしやすかったからです。ボードゲームの延長線上ですね。人間でもできる処理であれば昔の計算機でも簡単だったのでしょう。これは日本も海外も同じだったと思います。ところがコンピュータの処理能力が高くなると、海外のクリエータはマス目という概念をなくしました。そして時間の概念もターン(手番)ではなくリアルタイム処理にしました。日本では、一部でそのようなタイトルもありますが、主流にはなっていないように思います。日本人はシミュレーションゲームにおいて自分の計算できない(コントロールできない)曖昧な部分があるのを好まない傾向があるのに対し、海外ではゲームの進行がスムーズであれば些細なところは目をつぶる、むしろマスやターンといった「制約」はできるだけなくしたいという意思が強いようです。そういった方向での進化が続いた結果、日本では何十シリーズにも及ぶ続編の果てにこんなんが出たりと迷走しつつも未だ古き良きヘックスシミュレーションが発売され続け、海外はというとシヴィライゼーションを除くほとんどがRTSというスタイルに落ち着いたようにも見えます。
RPGの分野を見ても、ドラクエとOblivionを引き合いに出すまでも無く、両者の傾向は他のジャンルと同様だと思えます。

無理やりまとめるとすれば、結局のところ日本人は、デフォルメされた記号が好きなんじゃないでしょうか。自分達が把握できる、ルールの明確な、シンプルで美しい方程式で現される小さな世界を作りたいのです。要するに抽象化の方向ですね。まるで枯山水のような。
翻って海外のクリエータ達の最終目標は、現実となんら変わることのない仮想世界を作り出すことなのかもしれません。作り出した本人にすらコントロールできず、予想できない事態が起きるような、そんな複雑系ワールドを構築したいのではないでしょうか。
そう考えると、海外のゲームって最終的にはどのジャンルも統合されるのかな?
とか、さすがにそれは妄想しすぎですかね。

いずれにしても、自分が死ぬ頃にはいったいどんなゲームがでてきているのかと考えると、とても楽しみです。個人的には早く野球を9人でプレーするゲームが出てきて欲しいところ。スポーツゲームのジャンルって和洋問わず、なかなか進歩しないような。やっぱ「ゲームじゃなくて現実でやれ」ってことですか?間違った方向に進化した作品ならあるようなんですけどね。

 

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